もしも徳川家康がカーブスを運営したら(自由気ままな考察 2019)
徳川家康は関ケ原の戦いで石田三成を破って天下を取り、江戸幕府を開いた天下人です。日本人であれば知らない人はいないだろうと思われるほどの有名人で、その人となりも研究対象になっていますが、もし彼がカーブスを運営したらどうなるのでしょうか。
徳川家康の人物像で良く挙げられるのは忍耐力ですが、最も優れているのは調整力と言っても過言ではありません。関ヶ原の戦いは1600年10月の出来事ですが、彼は各方面の武将や要人に向けて大量の書状を送りました。これは徳川家康文書として知られています。調整力無しに天下統一はあり得なかったのです。
会社の運営で、調整力は「根回し」という言い方もあります。もし徳川家康がカーブスの要人であれば、何をするにも事前準備に時間をかけ、周囲にしっかりと根回しをしたうえで実行するでしょうから、彼の提案が反対されることは少ないと予想できます。
それが革新的な案や前例の無いもので、通常であれば周囲の賛成を得られないようなことでも、徳川家康であれば実現してしまうでしょうから、彼の思惑通りの会社運営になりそうです。
徳川家康は元々松平姓を名乗っていましたが、松平家は古くから繋がりのある優秀な家臣団を従え、勝機をじっと待ち続けると同時に、じっくりと基盤を築きあげました。織田信長や豊臣秀吉のような成り上がりとは決定的に違い、上の世代から長く続く信頼関係のうえに成り立っていたのです。
これは天下を統一し江戸幕府を開いてからも実践され、関ヶ原の戦い以降に家臣となった、ある意味信用できない人間は外様大名として江戸から遠ざけ、江戸の近くには徳川一族の親藩大名や以前から家臣だった譜代大名などの身内で固められました。
これらのことから、カーブス運営時に外部から優秀な人間を獲得するよりは、周囲の人材を古くからの仲間など信頼できる人で固めていくと想定されます。
江戸に幕府を開いたのは、朝廷の権力が及びにくいよう京都から遠方を選んだためです。仮に立地の良い場所があったとしても、有名なライバル店の近くには店舗を構えず、フィットネス店が未開発の場所を選ぶと考えられます。