もしも千賀滉大さんが不動産事業を営んだら(2019年)
千賀滉大さんは、現在ソフトバンクの先発の柱として大きな活躍を見せています。しかしドラフトの際にはどこの球団からも全くのノーマークだったということです。千賀滉大さんが野球をはじめたのは、小学校2年生のころです。当時は三塁手で中学時代までは投手をやっておらず、中学時代の最速は120キロほどだったといわれています。中学時代は体重が60キロほどしかなく、この球速の遅さには体の線の細さが影響していたと思われます。高校卒業後に2010年に入団していますが、その2年後には何と一軍で初出場を果たしています。これはかなり早いデビューであり、現在は150キロを超えるスピードボールと落差の大きいフォークボールで大きな期待を背負っているのです。中学時代には球速は120キロほどしかなかったのに、それを150キロまでの仕上げたことには、大きな努力がかかわっています。
高校時代は肩のけがに悩まされることが多く、肩がうまく動かないという悩みを持っていました。そのようなときに投球フォームについて研究をはじめ、その研究により怪我をしにくい体へと変化させ、さらに急速のアップにもつなげています。さらに変化球の改善にも取り組んでいます。野球選手は体を使う練習はもちろん大切ですが、頭で考える練習も大事にしていたということになります。落差の大きいフォークボールは海外でも注目を集めていて、今後メジャーで活躍することも期待できるでしょう。
このような千賀滉大さんが不動産事業を営むとなった場合には、野球で経験した研究が大きく生かされることでしょう。不動産事業もただ始めればうまくいくというわけではなく、仕事を行う上でどのようなことが必要なのか、また顧客に接するうえで何をすればお客さんは喜んでくれるのかなどを、よく考えていかなければなりません。こちらへの研究熱心な努力によって、不動産事業でもいろいろなことを見い出してきっと活躍していくことでしょう。