堺市における木材市場の現況(令和2年 2020)

 

戦国時代堺市は対明貿易や南蛮貿易を中心に栄えた街で、海外との交流拠点として発達した街です。街の自治はすべて富裕な商人によって構成される、会合衆と呼ばれる商人たちが行っていました。合議制によって、自主防衛で浪人などを雇い時の権力者に対抗していました。堺市の木材市場はこのような商人たちによって培われた自由貿易の気風を残しています。創意工夫を大事にして貿易でも自由に品物が各地を往き来することを旨にしており、日本中の木材や海外からの物産が集まってきたのです。明治になると直轄領となり関西圏の商業をつかさどる町になりました。木材の流通は家を建設する資材として戦後に至るまで活発に行われてきました。

 

堺市における木材市場の現況は、国内の他の地域と同じように商業の町であるのに残念ながら活発であるとは言えません。その原因は1990年代になってからの市場のグローバル化の影響で、地域林業の考え方が需要に基づいて生産地を選ぶようになってきたことにあるのです。海外から加工しやすい木材が入ってきて、使いやすさから伝統的な柱と梁を重視する工法はすたれてきました。活発な加工貿易を旨にしてきた堺市でもその傾向は変わりません。加工剤の積み下ろしはあっても現場直結型であることから、建設資材が市場でやり取りされることは少なくなってきています。自由貿易を標榜してきた堺市ならではの木材の活用方法を模索する必要があるのです。吉野すぎなど貴重な木材資源を有する関西圏の集積地として使いやすい資材として、廃材利用を含めた国産材の地域完結型の利用を進めていく必要があります。家づくりや高層マンションなどの一部に木材を取り入れて、堺市が昔から大事にしてきた「創意工夫」が木材市況の現況に取り入れられることが重要になってきているのです。港町である特性を活かした資材のやり取りができることが課題になってきています。木材を取り入れようとする生活習慣が、健康を重視する生活に必要です。風通しの良い日本の伝統の家を建設できることが堺市の木材市場を盛り立てることにつながります。

 

 
トップへ戻る