日高郡における木材市場の現況(令和元年 2019)

 

和歌山県は、県全体の森林面積が多く、豊かな紀伊山地の木材市場は県の主要産業でした。鉄道などの近代交通機関が導入されるまで、重量のある木材の輸送に中小の河川に頼って運んできました。切り出された木材は近隣では関西に運ばれ、港を通じて関東にも輸送されていて、その利益を用いて他の産業の発展にも貢献していました。そのため紀州は森林資源が豊かな国であり、多くの木材を送り出していた国という事から、江戸時代には木の国と呼ばれていました。明治初期まで、和歌山県では江戸時代の伝統的な鋸を使った製材方法が用いられておらず、ほとんど加工されない粗い木材として流通していました。明治期になり、産業化が進んで機械製材が導入されるようになり、加工技術が急速に発展して和歌山県の地元の林業従事者が増加しました。昭和初期の戦前と戦中期には、木材の軍用化が進んで、軍に出荷していたため自由な製材活動が出来ませんでした。戦後は復興事業に伴って、急激に木材需要が増えて価格が急騰して儲かった事もあり、急激に製材工場が増えました。乱立していた製材工場は、昭和30年代を過ぎる頃には減少し始め、国内の復興材の需要が減って木材価格が低下しました。それに加えて昭和30年代後半になると海外から良質で安価な外材が輸入されるようになり、価格がさらに下落して、生産コストを下げるために製材工場のより大型機械化が進み、製材工場の数は減少して、林業従事者も減って日高郡の木材市場は衰退していきました。その後世界情勢が変わり、開発途上国の発展に伴って木材需要が増加したり、チップを使ったバイオマス発電の需要増により価格が高騰し始めました。木材輸出国でも、乱伐規制が行われるようになり、世界的な供給不足が進んでいます。和歌山県の日高郡では、この世界的な木材価格の高騰を利用して、林業従事者に対して新しい製材工場に設備投資を行う事業者に補助金を出したり、林産業の新従事者の育成を行い始めました。それにより日高郡の木材市場の現況は、以前に比べて好転しつつあります。

 

 
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