もしも徳川吉宗が木材市場を運営したら・・・

森林国家の日本には優れた木材がありますが、輸入木材も多いです。
国内外の森林から切り出される木材は市場に出ていきますが、多くの人間が関わっているために流れは複雑になっています。
もしも徳川吉宗が木材市場を運営したら、大きな改革を実行するかもしれないです。
徳川吉宗は江戸幕府の8代将軍として広く知られています。
徳川家康の曾孫にあたり、父親と兄が亡くなった後は紀州藩主を継いで藩の財政を再建します。
徳川家継が亡くなると、徳川御三家出身者としては初めて養子となり第8代の将軍になります。
将軍になった徳川吉宗は、紀州藩主時代に培ったノウハウを幕政にも反映させます。
質素倹約と増税により幕府を改革しただけでなく、新田開発も行います。
新田開発とはげないの公共政策にあたります。
市民の意見を取り入れるために目安箱を設置したことは有名で、享保の改革を実行に移します。
享保の改革は幕政改革で、改革の中心は財政の再建です。
財政の再建以外では江戸の行政改革を行っています。
江戸時代の都市政策を担っていたのは時代劇でも人気がある大岡忠相です。
目安箱には多くの投書があり、貧しい人々を救うために小石川養生所が設置されます。
徳川吉宗が行った政策は数多くありますが、高く評価されているのが有能な人材の登用です。
当時の人事制度は家禄と連動していたので、禄高が多くないと重要な役職に就けないという問題が出てきます。
徳川吉宗は自分の改革を進めるために、閉鎖的な身分制度を止めて新しい制度をつくります。
この制度によって不足分の禄高を自分が登用したい人物に与えることができ、思い通りの改革ができるようになります。
体制側の人間だった徳川吉宗が閉鎖的な身分制度を壊した理由のひとつは、自分の生い立ちにあります。
吉宗の母親は身分が低かったため、生まれると家臣に預けられて育ちます。
幸運も重なり江戸幕府の将軍となった吉宗は、保守的な人々の反対を押し切って改革を成功させます。
もしも今の世に徳川吉宗が存在して木材市場を運営していたら、大胆に改革を行っていたかもしれないです。

 

トップへ戻る